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2005/01/06

No.027 ■なぜ日本語対応手話のほうがエラくみえるのか?

No.024,025,026と続けてシムコムの話になったが、今回もシムコムにまつわる個人的な話をしたい。

私自身については、19歳で上京したときから手話のわかる(程度は問わない)聴者には声を付けた日本語対応手話、即ちシムコムを、ろう者には日本手話・・・と自然に何の疑問も持たずにコードスイッチングをしていた。

手話のわからない人にはできるだけ声で話し、通じない時は筆談で(筆談になることが多かった)というやり方をとっていた。大学時代の先生や同級生、寮の同室の人等にである。

口話法による教育をどっぷりと受けてきたためか、初対面の人(聴者)に手話でというのは到底考えられなかった。

日常生活ではもちろん手話を解しない人々に接することが多い。レジの人、薬局の人、駅員、タクシーの運転手・・・そういう人々には声で話しかけてみて通じるようだったらそのまま声で、そうでない時は自分からメモを取り出して筆談ということが多かった。(通じない時のほうが多かった。)

そして、手話のわかる聴者には声を出しながら手話をした。手話サークル等の集まりでは当然、声付きのシムコムになるし、手話サークルや地域の登録手話通訳者団体から講演を頼まれた時は、意識しないと途中で声が消えてしまう(それは日本手話にスイッチングしかけるという意味でもある)ので、注意して声を出し続けるようにしたものである。

当時の私はなぜシムコムを使ったのか。

それはシムコムを使っているほうがスマートで知的にみえたからである。両親や両親のところに遊びにやってくるろう者が使うような手話は教養に欠けた人々が使うものであって、日本語ができて、教養のあるろう者はシムコムで話すべきだと思い込んでいたし、また、そういう時代がくると信じていた。

学生時代は、聴覚障害を持つ学生の団体のリーダーになった。私の周囲はインテグレーションした学生ばかり。聞こえないということすらも受け入れらず、したがって手話(=シムコム)も使おうともしない学生がいる。私のよく知っているろう者はそこにはいなかった。活動は2年位続けたが、ある種の居心地の悪さを覚え、地域のろう協会活動のほうに熱心になるという経験がある。

私には強烈で忘れられない思い出がある。夏休みで帰省した時のこと。両親のおしゃべり仲間が実家に集まっていて、私の手話をこう評したのだ。

「あれま、見ないうちに、すっかり東京の手話になったねえ」。

彼らの「東京の手話」は、すなわち日本語対応手話のことをいうのだ。

言われた当初は、東京での生活で、田舎とは違った垢抜けた手話になったのかなと思ったりしたのだか、続きのフレーズが「大学に行っていて、頭もいいからね、手話もね、東京のになってしまうんだわ」。

「東京でもあなた達みたいな手話の話し手はたくさんいますよ」と私は言いたかった。しかし、それより以前に私の手話が両親のそれとは違うもの、つまりろう者の手話とは違うものと評価され、なぜか疎外感を覚える自分に戸惑いを感じたことのほうがショックだった。

シムコムは教養のあるろう者の用いることばなのだから、彼らが下した評価は自分の優越感を満たすものであり喜んで受け入れるべきなのに、アレルギー的反応を示す自分がどうしているのかと自問自答した。

シムコムが決して教養のある言葉だとは心の底から信じていないということにも気づいた瞬間でもあった。シムコムは、間に合わせの、その場しのぎのコミュニケーション手段でしかないということにも気づいていた。

日本手話にはある種の達成感が伴い充足感を感じるのに、シムコムだと自分の考えをうまく伝えきれないもどかしさ、相手のシムコムを読解するのに眼精疲労を感じるくらいの大変さには自ら目をつむり、シムコムがろう者と聴者の間の架け橋となる立派なコミュニケーション手段になりうるのだと言い聞かせてきた。

私は長い間、シムコムは解読に骨の折れる手段であるが、解読できる人こそが日本語のできるいわゆる頭の切れる、エリートな人なのだと自分に言い聞かせていたのだ。

「シムコムはもう使うまい」と決心したのは「東京の手話」事件からしばらく経ってのことである。

1991年、東京で世界ろう者会議が催された。京王プラザホテルをメイン会場に国内からは6000人、海外からは1000人の関係者が参加、盛大な大会となった。私はボランティアとして約10日間、大会の裏方にいたのだが、当時、NHK「みんなの手話」に講師として出演していたこともあって、大会に参加していたろう者から握手を求められることがたびたびあった。

ろう者は異口同音に「手話がうまいね、通訳者なのに」「テレビに出ているくらいなのだから難聴者でしょ」と私にいうのだ。

「みんなの手話」では、日本手話は学習者(視聴者)には難しすぎるという理由で、初めからシムコムを取り上げていたため、私もシムコムでモデル文を提示していた。そんな私をみてろう者は手話通訳者か難聴者と思い込んでいたらしい。

「私はろう者ですよ」と日本手話で話すと、その次にくるのは「あなたは頭がイイね~」である。

ろう者の間では、シムコム話者=頭のイイ人=日本語のできる人 が使っている という構図が成り立っているのだ。何を言ってるのかわからない、話の内容がわからないと文句をつけながらも、頭がいいからシムコムを使うのは仕方がない、という結論におちつくのである。

「音声言語を獲得することは、社会人として立つ-したがって一般に人間として生きるための一要件となつているわけです。聾唖も言語を学ぶ必要があるのは、そのためで、世間にたつためには、「手話」では役に立ちませんし、それだけでは文化社会の生活から除外されることになります。日本人として日本語を習得していなくては、日本の国民たる資格がないともいへませう。」※

これは佐久間鼎(さくま・かなえ)が1942年に「聾唖の心理」『日本語のために』に書いた一節であるが、現在も、聴者主導のろう教育の支柱にその考えが脈々と流れているのではないか?

そして、メルマガの読者(ろう者)からいただいたメールも核心をついていると思うので、最後に原文ママで紹介したい。

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全日本ろうあ連盟の幹部の多くの人が日本語対応手話で喋っていることで私たちのろう者に大きく影響を与えていることは間違いないのです。なぜか言いますと、日本語対応手話通訳(?)、手話学習者(日本語対応手話)が見ている限りは日本語対応手話が上手に使っているろう者、手話通訳者は「頭が切れる人」「運動が出来る人」だと思っている人が非常に多いのです。逆に私たちみたいネィテイブな手話を使っているろう者、通訳者などは「出来ない人」「能力ない」と見てしまっているのが現状です。
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※安田敏朗「日本語学は科学か ~佐久間鼎とその時代~」2004年9月、三元社 より引用。定価2,900円(税別)。

(2004.10.18)

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