No.059 ■手話の語源について(1)
地域の手話サークルや手話講座と関わりを持つようになったのは大学2年生の頃。当時、手話の先生をしていたのは聴者で、私を含めろう者は、手話の先生の下で一緒に手話の指導をしていた…という感じである。
ある手話講座で、読み書きがあまりできないろうの女性に日本語の例文を見せ、手話ではどうやるの?と聞いた手話の先生(聴者。以下、手話の先生=聴者とする)がいた。ろうの女性はその日本語の例文の意味がわからなかったらしく、結局、手話の単語をつなぎ合わせた感じの、日本語対応手話からみても日本手話からみても変な文になってしまった。すると、先生は笑って「やはり日本語ができないと手話を教えるのは無理みたいね」みたいなことをいうのではないか。
その先生は、結局のところ、日本手話とは何か、ということをわかっていなかったのだが、私も私で、その時に心の中で生じたある違和感について説明できずにいた。
実は学院・教官の仕事に就く前、私自身が単独で(独立して一人で)手話を教えるという経験は全くなく、10人位の手話の先生の助手をしたのみである。地域の手話講座、東京都の専門クラスや通訳養成クラス等の助手を5~6年ほどだか経験した。
どの手話の先生にも共通していたことは、手話の語源(手話の成り立ち)の知識の豊富さ。手話の語源を知らないと手話の先生になれないかのように…だ。
確かに手話の成り立ちを知るのも悪くはなかろう。しかし、手話の指導の様子をみていると、ほとんどが語源の説明に費やされてしまうのである。そのため、手話学習者も新出単語が出てきたときに「語源は何?」と安易にたずねてしまう習慣がついてしまうようだ。
(東日本で主流になっている方の)/名前/が拇印を押すときのしぐさからできているという説明を手話の先生から初めて聞いたときはそういうものなのか~と感心したのだが、/例えば/という手話の語の語源をある手話の先生が説明したとき、「これって、ちょっとこじ付けじゃないのかな…」と語源説明が中心の手話講座のあり方に疑問を持つようになった。
手話の語源の名著「手話の知恵 ~その語源を中心に~」が昭和62年に刊行されているが、この本はある意味、ろうの先人達が手話という言葉をつむぎだす上での知恵を知るという意味では有意義な本だと思う。語源はひとつではなくいくつかの説があるということを著者の大原省三氏が自ら説明している。
大原氏は第一章の中で「~ろうあ者の世界で手話の語源を知らないといっても、これは何もろうあ者の不名誉とはならない。一般の人々が、相撲の”幕内”や”幕下”の区別を知っていても、どうしてこのコトバが生まれたのか知っている人は少ないのと同じである。ところが何故か、ろうあ者の手話ともなれば『知らない』では済まされない。」と書いてある。
手話の語源の知識があまりないろう者よりは、語源を丁寧に説明してくれる手話の先生のほうを信頼しようとする手話学習者の態度を招く語源中心の手話指導のあり方を嘆き、上のような文章を書かれたのだろうと私は推察する。
大原氏は故人となられたが、手話を教えてもらうときに語源の説明は必要不可欠であるという認識はいまでも根強く残っているようだ。
すなわち、手話講師としての資質度・能力度は、いまでも、手話の語源の知識度に比例している。手話の先生は、手話の語源についてよく勉強しているし、ろう者以上によく知っている。
手話学習中の人と話をしていると必ず「今の手話は何?何?」と聞かれ、それだけならまだしも「え~、そういう意味なんだ!語源はな~に?」と聞かれるのにはもううんざりだというろう者はたくさんいる。
手話の語源をよく知らないからと手話講師を強く辞退するろう者もいるし、ひどいのになると、手話を学習中の聴者から、手話の語源も知らないの!と呆れられて、手話サークルに行こうという気持ちが失せてしまったという話もある。
手話学習中の人の立場からいうと、手話の語源を説明してもらったほうが忘れにくくなる、覚えやすくなるというが、それは果たして本当のことだろうか?
次回のメルマガでは、手話の語源は手話学習にちっとも役にたたないということを書きたいと思う。
※大原省三著「手話の知恵 ~その語源を中心に~」1987年発行
財団法人全日本ろうあ連盟・定価:3,800円(税別)
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コメント
語源は知らなくてもいいと思います。
いちいち日本語の語源を知らないように。
きっと覚えやすいから、語源を知りたがるんだと思います。
いいくにつくろうかまくらばくふ。
みたいな語呂合わせと思っていればいいんじゃないかなー。覚えるのの、こつっていうか。いちいち目くじらたてていたら、疲れますよ。。木村さん。。。
ただ、メルマガの「秋田」の手話が読みとれない聴者がいるという記事について、質問があります。
指導するときにどうしたらいいんですか。
とりあえず、こういうかたち、みたいなのを指導しないと、こういうのもあるかも、ああいうのもあるかも、と全部で数種類の手話を指導すべきなのでしょうか。
投稿 まきしむ | 2005/08/26 17:21
妻(ろう)とのやりとりで以下の様な事が時々あります。
妻:『○○』って(手話の)語源は何?
私:『知らん』
妻:『手話通訳だろ!』
私:知らないものは知らない。ろう者だろ?自分は知らないの?
妻:私は(ただ自然に)使ってるだけ。
あんたは手話通訳だろ?
『勉強が足らん!』
正直、知らないものは『知らんがな・・・』
投稿 叫び | 2005/08/25 13:51