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No.090 ■手話こそ世界語に?

 最近、ろう文化や手話への理解が広まりつつあり、マスコミにもしばしば取り上げられるようになってきた。反面、まだまだ無知な人たちも存在する。ろう者と接触することのない人たちの中には、国によって手話が違っていることに驚く人もいる。手話は聴者が作ったものだとか、世界共通だろうというような勝手な誤解もある。しかし、旧約聖書のバベルの塔の話のように、世の中に多様な言葉が存在するのは意味あることなのだ。

 手話もしかり。ろう者のコミュニティにはそのコミュニティごとの手話が存在する。人がなかなか足を踏み入れることのできないようなアフリカの奥地に、もしろう者のコミュニティがあれば、必ずその地で使われる手話があるのだと思う。他所から人が入らないため、その存在が知られていないにすぎない。幸いにも日本では手話を目にする機会が多いので、その存在が知られるようになっただけだ。

 16~17世紀頃の大航海時代には、フランス語やスペイン語が幅を利かせており、植民地の人たちも宗主国の言葉を覚えたり、実際、話せたほうが便利だと思っていたかもしれない。それが現代では英語になり、世界中で英語が共通語のように扱われている。もちろんその状況に異議を唱える人も多いし、英語ができることがすなわちエリートだと思うなどは、勘違いも甚だしい。それでも英語ができると便利であることは確かだ。そこで、英語に代わり「エスペラント語」を共通語にしようという動きもある。

 手話も世界共通ではない。そのため世界各国のろう者が集まるときのために共通手話としてジェスチューノが作られ、ひと頃はその辞典まで出された。最近はあまり意味がないと活用されなくなった。最近の国際手話には大きく分けて欧米系とアジア系の二つのタイプがある。アジアのろう者間ではアジアなりのものが作られるし、欧米のろう者たちはやはりそれなりのものを使う。そのためアジアのろう者にとって欧米タイプは少しわかりにくい。人々が集まると各国の手話単語を取り入れピジン手話が生まれる。その場ではなんとか話が通じても、やはり自国の手話で話すときより情報量は格段に少ない。

ところが、聴者はろう者は他国の人とでも手話が通じると思っている。たしかに音声言語に比べれば、手話は通じやすいといえる。だからといって手話が世界共通になるわけではない。ピジンはあくまでもピジンであり、内容を理解しようとする努力が必要になるし、努力しても少ない情報に甘んじなければならない。国際手話通訳も同様だし、他国のろう者と話す経験のない人には、それすら理解できないだろう。自国の手話の通訳を見るようなわけにはいかない。手話が世界共通になることなどありえないのだ。

 それなのに、「手話を世界語に」などととんちんかんなことを唱える人がいる。手話についての門外漢が言うならまだしも、あろうことか、全国手話通訳問題研究会が季刊で発行している『手話通訳問題研究』102号の『随想』のページに目を疑うようなことが載っていた。作家の早坂暁氏が、外国に行くと話が通じなくて難儀するので、世界共通の手話を覚えれば支障なく会話ができて便利だと書いている。さらに、手話は文法がなく覚えやすいとまで書かれている。時代錯誤も甚だしい。それに、早坂氏は数年前の全通研集会で記念講演までした有名な作家で、言葉の専門家である。また、一般の新聞等で十分な理解もなく掲載されたというのではない。仮にも手話についての理解を広めようとしている団体の機関誌ではないか。手話は文法がないとか、覚えやすいなどと明らかに間違った見解を、そのまま掲載し発行するなど許されることだろうか。一般紙も社会への影響力が大きいものの、おかしな記事には是正を求める意見を言えるが、手話やろう者を熟知していると思われる団体が発行したものについては意見の言いようがないではないか。

 ろうあ運動に取り組んでいる人たちには、今の社会の変化に敏感になっていただきたいものだ。

(日本語訳:chu)

■このメルマガは、2008年4月8日にまぐまぐ!によって配信されたものです。

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ろう者の言語・文化・教育を考える(No.084~)」カテゴリの記事

コメント

季刊誌を発行前に事前チエックはできないものでしょうか?またはできない体制でしたか?

投稿 まま | 2008/05/01 16:49

確かに全通研の季刊誌はまずい。。。

投稿 こめ | 2008/04/24 23:20

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