カナダのあまーいお菓子?


最近、また手話・ろう者を取り上げたドラマが放映されている。TBSの昼ドラ「愛の劇場」の『ラブレター』である。11歳になるろうの少女が、児童養護施設から瀬戸内海の小豆島に住む里親に引き取られ、小豆島を舞台にさまざまなエピソードが展開していくものだ。主人公の少女時代から成人するまでを3人の女優が演じていくらしい。このドラマの"売り文句"は「手話で愛を語ることができます」だ。加えて「手話は喜怒哀楽すべてを表現することができます」という。改めて言うまでもないような当たり前のことではないか。手話は言語であると言いたいようだが、その言い方がどうもいま一つだ。
そのほかにも腑に落ちない設定がある。主人公が育った児童養護施設が聞こえる子どもたちと一緒の施設だったのか、ろう児の施設だったのかはっきりしないが、11歳の少女はいったいどのようにして手話ができるようになったのだろう。仮に、ろう学校に通っていたのだとしても、小豆島では普通校にインテグレートしている。11歳以降を聴者の中で過ごした人が、成人ろう者と同じような手話を話せるようになるものだろうか。周囲にろう者がいない中で、どうやって手話の力を伸ばすというのだろう。制作側は手話はろう者が自分勝手に作り出す言葉だとでも思っているのではないだろうか。
たとえば、イタリアのある小さな島に日本人の子どもが漂着したとしよう。運良く島の人に助けられ、そこで暮らすことになった。しかし、その島で成長した日本人の子は大人になったときそれなりの日本語を話せるものだろうか。言葉は年齢に応じた会話や経験を通して成長する。11歳で日本語の環境がなくなったら、自然に日本語は忘れ、現地の言葉を覚えていくだろうと考えることは容易だと思うが、なぜ手話だけは別格と思うのだろうか。
つまり、このドラマの制作者は言語とは何たるかを知らないまま、手話は言語であると唱えているにすぎない。それでも手話を取り上げたドラマが放映されることによって、また手話に対する関心が高まるだろう。さしずめ、プラス・マイナス0(ゼロ)というところか・・・。
(日本語訳:chu)
■このメルマガは、2009年1月19日にまぐまぐ!によって配信されたものです。


所用のため、金曜日の深夜に大阪入り。
大阪といえば551(蓬莱)が最近のマイ・ブーム。
ちょうど昼過ぎに帰京することになり、お昼に551の肉まんを狙っていた私。
新大阪駅地下レストラン街に551の看板を見つけたけれど、スタンドでなくレストラン。でも、弁当をテイクアウトしているとのこと。
ターゲットを肉まんから弁当に変更し、写真の551焼売弁当をゲット。890円。
新幹線に乗り込むなりすぐにいただきました。作りたての熱々をいただき、至福(^-^)/~~。
ボリュームがありすぎて完食するにはちと苦しいのと野菜がないのが難点といえば難点。
でも、いいのだ〜(^^ゞ
全通研冬の討論集会(千葉)1日目の帰り、浅草まで足をのばして、庶民の味方、「米久」にて牛鍋(すき焼)をいただきました。
プチ同窓会です。3期のKさん、4期のTさん、12期のSさんと4人で。Kさん、Sさんのマジメなまなざしが何だかおかしい。
お腹一杯いただいて、生ビールが付いて、おひとり5,000円くらい。お肉も上等なほうを頼んだし、割り下もお好みで調整できるし。
「浅草の今半」より半分以下の予算ですき焼を堪能できます。 ![]()
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ろう者は自分で電話をかけることはなく、最近では携帯電話のテレビ電話機能やメールを使っている。中途失聴者の中には、自分で直接話し、相手の返答部分のみ手話通訳させる方法で電話をかける人もいるようだが、普通のろう者が自分で電話をかける、電話で話すことはまずない。
今、我が家はFAXを使わなくなったため固定電話がない。そのため、連絡先として書ける電話番号がない。最近は、携帯電話の番号を書く人も多くなってきたようなので、携帯電話の番号を書くことにしている。もちろん、私の携帯電話は常に「留守番電話設定中」だ。実際に着信になっても、相手方の電話番号は残るし、誰かにメッセージを聞いてもらえるので、意外に便利な方法だ。それでも電話がかかってくるのは、1~2か月に1回くらいしかない。
ろう者がろう者に電話をかけられるのは、双方に手話通訳者がいる場合だ。ろうあ協会の事務所や手話通訳を置いている会社など、常に通訳者がいるようなところのろう者には電話をかけることもある。また、同様に、先方に通訳者がいることを承知してろう者に電話をかける聴者もいると思う。
では、相手がろう者であることを知らずに電話をかけることもあるのだろうか。あると思う。連絡先として電話番号が書かれていたので、かけてみたら相手はろう者だったとか、FAXだったという状況ではないだろうか。その電話が勤務先等であれば、周りの聴者が代わりに出てなんとか伝えてくれるのかもしれない。
しかし、ろう者に電話することに慣れていない聴者はたくさんいる。私のところにも電話がかかってくることがある。基本的にはFAXでやり取りしたいが、先方が、何か急いで確認したいときには電話にしたいのだろう。そこで「お電話をしたいので、代わりにお話しできる方はいませんか」とFAXがきたりする。「代わりにお話できる人」でなければならないのだろうか。こちらからのFAXに「手話通訳学科」と明記してあるにも関わらず、通訳を介して私と話をするという発想にはならないらしい。手話通訳者の存在はまだまだ知られていないのだと改めて思った。
さらに、通訳を介して電話をしていると、最後に電話口の通訳者の名前を確認されることがある。電話の主は私なのだから、通訳者の氏名などは関係ないはずだ。また、通訳者の氏名を伝えてしまうと、次からはその通訳者に電話がかかってくるようになる。一般の聴者は、ろう者に代わって電話口に出る人を「通訳」ではなく「代理人」ととらえているようだ。私たちろう者もこのような現状をふまえた上で、通訳を介して社会にアクセスしていることを周知していかなければならないと思う。
(日本語訳:chu)
■このメルマガは、2009年1月15日にまぐまぐ!によって配信されたものです。


日本手話話者は日本語との接触が多いので、日本手話には漢字の借用が多い。「田」「中」「川」などのように人名を言うときによく使われるものも多い。
よく、手話学習者が、自分の名前は「原田」なのに、手話では<腹・田>とされて嫌だと言うことがある。しかし、ろう者は<腹・田>として「原田」と理解している。また、「片倉」も手話では<肩・倉>だし、「森宗」を<森・胸>とするが、ろう者にとっては何ら問題はない。また<岡>の手話も「岡」「問題」「関」となり、紛らわしくて嫌だとも言われるが、ろう者は難なく弁別している。
漢字手話には、漢字の形を使うものと、漢字の音を使うものがある。聴者から文字どおりに分けて表出してほしいといわれても困る。それは、中国語や英語に対して紛らわしい発音は迷惑だからはっきり聞き分けられる発音に変えろと言っているようなものだ。
言語はそれぞれの決まりがあるのだから、なんだかんだと不満を言わず、「手話とはこういうものなのだ」と受け入れてもらうしかない。それが、言語を学習するときの姿勢ではないだろうか。ろう者も、手話学習者の意見に右往左往する必要はない。自分たちはこの方法できちんと通じていると自信を持って答えればよいのだ。
手話学習者の手話のとらえ方で首を傾げることもいろいろあるが、今回はその中の漢字手話を取り上げてみた。漢字借用が違う文字になっていても、そのような使い方をするものなのだと素直に学んでいっていただきたい。
(日本語訳:chu)
■このメルマガは、2008年12月22日にまぐまぐ!によって配信されたものです。
沖縄は杉がない(少ない?)らしい。ということは花粉症と無縁でいられる!!(^o^)でも明日の夜には帰らないといけない(>_<)
東京では花粉がものすごいらしい(T_T)
自宅には先月中旬に耳鼻科からもらっておいた2週間分の薬がスタンバイ中。
マスクと薬で辛い花粉シーズンを乗り越えるぞ!




全国に展開中の滋賀の和菓子屋さん叶匠壽庵が作ったロールケーキです。
これは学院に顔を出しにきた17期Fさんからの差し入れ。和菓子屋さんが作ったものだけど美味しいよ~というFさんのコメント通りで、和洋折衷のロールケーキでした。その気になれば丸ごと1本はいけそう。くどくなく上品なお味でございました!![]()
17期のNさんからの差し入れ。「ぶたのおせんべ」。びっくりしましたね、おせんべいまで「ぶた」があるとは!
確かにぶたの形をしています。保存料や化学調味料等の添加物は一切なし! 山形のはえぬき米で作った生地にブルターニュの海塩で味をつくったちょっと粋なせんべいというフレーズが付いていました。
家族にも大好評でした。
そこで、ちょっと調べてみたところ、神楽坂の甘味処として有名な「紀の善」のものであることが判明!おせんべいもたぶん手作りなのでは!
Nさん、ありがとう!
指差しは手話では大切な要素だ。日本語対応手話では、主語を表す指差しはあまり見られないが、日本手話では指差しは頻繁に使用される。日本語対応手話は、その名の通り日本語に対応しているので、主語を省略することの多い日本語に即して指差しは使われない。一方、日本手話は英語のように主語を明確にする言語であるため、指差しを多用する。そのため指差しの入らない日本語対応手話を見るときは、それを一度日本語に訳して理解するという手間がかかる。ろう者にとって指差しはとても大切なものなのだ。
赤ちゃんは、指差しを手がかりに指された方向を見る。聴者の赤ちゃんは、音声言語の発達とともに指差しへの反応は少なくなり、さらには人を指差してはいけないという聴者の規範を教えられる。一方、ろうの赤ちゃんは、指差しの使用を見ていくうちに自分も表出するようになる。初めはその場にいる人や見えるものだけを指すが、1歳半ころになるとその場には存在しないものへの指さしができるようになる。
指差しは、主語と目的語を明確にする役割がある。3歳児でも「私は○○くんが好き。○○くんも私を好き」と手話で言うことができる。○○くんがその場にいなくても、きちんと主語と目的語を明確に表出できるということだ。また、「自転車を壊した」と「自転車が壊れた」では、語順は同じでも文末の指差しの先が違う。「(私が)言った」と「(彼/彼女が)言った」は<言う>の方向は同じでも文末の指差しの先が違っていて、主語が省略されたとしても文末の指差しが主語を明確にする。さらに、指差しと同時に指差しの先に視線が向くと、文末の指差しは目的語を表すことになり「私が(彼/彼女に)言った」になる。
このように、指差しは手話の中で重要な文法的役割を担っている。ろう者は自然に手話を習得したため、文法のことなど意識せずに手話を使っていると思う。しかし、手話学習者や日本語対応手話を使う聴者がろう者の表出した指差しの先を見ようとすることに違和感を覚えることはないだろうか。指差しの先を見るのは、その指差しの文法的役割を理解していないからで、手話の習得度がうかがえるというものだ。
聴者の皆さん、手話の指差しを見てその先に何があるのか見たくなったら、あなたの手話はまだ言語として習得されてはいない。指差しは手話習得度をはかるバロメータなのだ。
ろう者にとって指差しをするための人差し指はとても大切だ。人差し指を欠くことは死ぬことと同じ。指差しだけでストーリーを語ることもできる。それくらい大切なものであることをわかっていただきたい。
(日本語訳:chu)
■このメルマガは、2008年12月15日にまぐまぐ!によって配信されたものです。
日テレの「未来創造堂」で手話が取り上げられるみたいです。
2月6日(金)23時45分放送
こだわりVTR「手話の未来を切り拓いた男 高橋潔」。
実は、この番組でNHK手話ニュースの映像(過去と現在の両方)が紹介されることになっているのです。どんな番組になるのだろうかと昨年末から思っていたのですが、タイトルをみてなるほど…と納得すると同時に、誰が言語的&歴史的検証をしているのかな?と気になりました。
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