No.130 ■困った手話通訳者2
困った手話通訳者シリーズ第二弾では、自己リスペクト型の通訳者を取り上げてみたい。
手話が通じないことをろう者のせいにする通訳者がいる。ウソではない、本当にいる。新しい手話をはじめ手話単語を片っ端から覚え、積極的に使っては満足しているものの、当のろう者はさっぱり理解できていない。すると、それをろう者の勉強不足のせいにする。または、目の前のろう者が理解していようがいまいがお構いなしに、日本語対応手話で一方的に通訳する通訳者。たしかに中途失聴者やろうあ団体の役員クラスとは通じるのかもしれないが、ごく一般のろう者がその通訳を理解できずにいると、ろうあ運動をしていないからわからないのだと批判する。または、ろう者に指図したり、ろう者の能力を過小評価しておせっかいをする。
手話が通じないのは、通訳者がろう者の使う手話をきちんと習得していないせいだ。ところが、目の前のろう者の手話を見ようともせず、本や講習会の講師の手話こそが正しいと思っている。聴者慣れして自分と通じる聴覚障害者たちはエリートだが、普通のろう者は知識や情報量が足りないからと次第に指導者的ふるまいをするようになる。一言言ってやりたいと思うが、そうもいかない。
他の聴覚障害者とは通じるのに一般のろう者とは通じなくて困ると言う前に、是非自らを振り返ってほしい。ろう者の手話をきちんと理解しているか、ろう者の手話をきちんと翻訳できているか、自分勝手な想像や注釈を付け加えてはいないか、まず自己の検証をしてほしい。通訳とは通訳利用者双方の橋渡しをすること、つまり、双方のやりとりを円滑に進めるための存在だ。偉ぶったり威圧的な態度で通訳をされては、ろう者は言いたいことも言えなくなってしまう。その結果通訳者が主導権を持つようになる。
ろう者主体の行動を保障するためには、通訳者が自らの通訳を検証するという謙虚さが不可欠だ。手話の力や通訳技術を高める努力とともに、相手と通じないときの原因をまず自分の中に探す謙虚さがほしい。そうしないと、ろう者から煙たがられていることに気付かず自己満足で終わってしまう。ろうあ団体の役員たちにはかわいがられているかもしれないが、他のろう者にはどうなのか、いま一度考えていただきたい。
(日本語訳:chu)
■このメルマガは、2009年2月13日にまぐまぐ!によって配信されたものです。






































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