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2009年4月

2009/04/30

親子丼

手話ニュースの仕事が終わったあとにたまに行くお店の親子丼。
 
 
写真をみただけで「濃い!」でしょ。確か名古屋コーチンとその卵を使った親子丼。
 
でも口にするのは22時過ぎ。ひとりで全部平らげたいところだけど。
 
味付けはしっかりしていてジューシーさも(^-^)
 
居酒屋なのに、こうした親子丼出せるのは立派!
 
 

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2009/04/27

ラーメン陣

東京都多摩地区のお勧め(?)のラーメン屋に行ってきました。
 
(撮影・ボリボリ)
 
東久留米にあるラーメン陣というお店。
 
魚介類からダシをとったスープに縮れ麺。くどい感じがしましたが好きな人は好きかも。私は同じ系統のラーメンなら職場近くの福吉に一票かな。
 
でも写真の味玉、美味しそうでしょ。とろーりとしていてグーでした。
 

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2009/04/26

カニチャーハン

大宮駅エキュートにある「カニチャーハンの店」は以前から気になっていたお店のひとつ。いつ行っても人でいっぱい。
 
 
先日、そのお店の前を通り抜けようとしたら店内が珍しく空いているのを目ざとく見つけ、予定を変更してカニチャーハンをいただくことにしました。
 
かに味噌汁とセットで600円なり。
 
パラパラと軽い食感がして、薄味。カニの身も結構あります(^-^)
 
濃い味付けの好きな人には物足りないかもしれないけれど。だからなのかテーブルには天然塩が置いてありました。食卓塩じゃないのがニクいですね。

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2009/04/16

身なりを発言しなかったよ(BlogPet)

とんちゃんと、身なりを発言しなかったよ。
でも、自宅へ考慮したかった。
でも、きのうとんちゃんと、指摘するはずだったみたい。

*このエントリは、ブログペットの「CHU」が書きました。

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No.135 ■手話通訳利用者への教育

 私は、定期受診などで通訳を利用することがある。通訳付きの診察に慣れていない医師は、対応に戸惑うようで、どうしても患者である私ではなく通訳者の方を見てしまう。そこで未熟な通訳者が医師を見つめ返そうものなら、その後は医師と通訳者の会話になってしまう。ろう者や通訳に慣れていない医師が通訳者に向って話しかけたとしても、通訳者の方で医師を見つめることなく"只今通訳中オーラ"を発していれば、次第に医師も患者であるろう者に向かって話をするようになるものだ。

 ろう者も、そのような状況になってしまったときには、そのままにせず、通訳者に対応の仕方を教えるなど、通訳者教育をしておくのがよい。本当は医師の方にも利用者教育をすべきところだが、ろう者から直接行うのは難しい。通訳中にさりげなく通訳者から利用者教育をしてほしいところだ。

 診察終了後、カルテや診察券を返されるときにも、通訳者が受け取ってしまわず患者本人に渡してもらうようにすべきだ。通訳者は付添い人と間違えられやすく、病院スタッフはどうしても通訳者に向って話をする。そのようなとき通訳者は、自分で受け答えしたり、相手の顔を見つめ返したりせず、さりげなく通訳者であることをアピールするとよい。ろう者側も患者は自分だということをアピールし、利用者教育をしていこう。

 医療場面の通訳利用は多いと思う。ろう者にも自立型と非自立型がいるだろうが、非自立型のろう者は、通訳者任せの受診になっていることが多いかもしれない。しかし、そのままでよいのだろうか。通訳者側からも、ろう者が主体的に行動するように働きかけをしてほしい。それは、通訳者からろう者への利用者教育になる。通訳利用に慣れていないのは、病院関係者など聴者だけとは限らない、ろう者もまた然りである。通訳を利用することに慣れるには、たくさん経験するしかないのかもしれない。


(日本語訳:chu) 

■このメルマガは、2009年3月23日にまぐまぐ!によって配信されたものです。

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2009/04/13

No.134 ■3パターンの日本語対応手話

 先日、千葉で開催された全国手話通訳問題研究討論集会に参加した。毎年恒例の冬の集会だ。夏の集会とは違い、冬の集会は討論形式で行われるので、結構参加者の手話を見ることになる。そこで聴者の日本語対応手話には3パターンあることに気付いた。

 そもそも、日本語を話しながら手話をするのは、ろう者と手話のわからない聴者双方にその内容がわかるようにとの理由があるらしい。ろう者は手話だけで話すので通訳が必要だが、聴者は声を出しながら手も動かせるから両方やっちゃえ!という考えが基本にあるのではないだろうか。実は、手話と日本語対応手話には大きな違いがあるのだが、それには目をつぶり、双方が同時にわかる(つもり)という便利さを優先している。

 理由はともかく、その日本語対応手話にも3パターンあるようだ。第一は日本語優先型で、基本は日本語で発言し、おまけのように適当な手話を付け足すもの。これが圧倒的に多く、表出される手話が不完全なため、ろう者にとってはきわめて理解しにくい。その証拠にろう者の頭は固定されたままだ。口型を読み取り、不完全な手話を手がかりに必死に内容を推測している様子がわかる。中には日本語対応手話に慣れているろう者もいるようで、たまーにうなずきが見られる。よくわかるものだと感心する。

 しかし、このパターンの日本語対応手話は普通のろう者にはわかりにくく、自分の意見を述べているのか、指示を出しているのかすら判別できない。その結果ろう者同士で内容を確認し合うことになる。まるでろう学校の再現だ。ろう学校時代は先生の口話がわからず、生徒同士で確認し合ったものだ。ちょっと手話が付くとはいえ、内容の理解にはほど遠く大層疲れる。

 第二はふらふら欠落型で、日本語と手話を並行しているかと思いきや、突然日本語がなくなったり手話がなくなったりするパターンだ。ろう者らしいマウスジェスチャーも付いたそれなりの手話をしているかと思えば、いつの間にか日本語対応手話になったりして、見ているほうが混乱してしまう。日本語部分を聞くと「市と交渉したが、市は"パ (認めないの手話と同時) "なので…」という具合で、日本語としては不完全だ。そのため日本語だけ聞いていてもわけがわからない。<認めない>の手話がわからなければ、手話を見ていても意味は理解できないだろう。双方によかれと思って使われる表現が、双方に理解不能の部分を作り出している。

 第三は途中消滅型。はじめははりきって日本語と手話を同時進行させていたのに、いつの間にか日本語が消滅し、手話だけになってしまうものだ。手話がなくなって日本語だけになると、ろう者から催促が入るので手話の方がなくなってしまうことはまずない。ろう者が同席していることを意識しているうちに手話優先になり日本語が消滅してしまい、司会者などから「声!」と指示されている場面をよく見る。それでも、この第三パターンは手話と日本語の違いを知っているからこそ陥るパターンではないだろうか。それに対して、第一パターンや第二パターンは、手話と日本語は同時発信できると信じて疑わない結果ではないのか。

 3パターンそれぞれ特徴があるにせよ、これらの日本語対応手話はいったい誰のために使われているのだろうか。はなはだ疑問であるが、日本語対応手話はろう者の目を疲れさせることだけは間違いない。


(日本語訳:chu)

■このメルマガは、2009年3月13日にまぐまぐ!によって配信されたものです。

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2009/04/09

ネットに助言する(BlogPet)

きのうとんちゃんと、要素みたいな在籍しなかった?
それできのうCHUが、活動に失敗したかったみたい。
それできょうは、ネットに助言する?
それでベリーで一種へ体験したかったみたい。

*このエントリは、ブログペットの「CHU」が書きました。

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No.133 ■困った手話通訳者3

 困った手話通訳者シリーズ第三弾は、通訳者の服装についてである。

 昔、手話通訳養成に関わり始めたばかりの頃、手話通訳者たちはおしなべて真っ黒な服を着ていた。手をはっきり見せるためのお約束なのだという。真っ黒い集団でまるでお葬式のようだと違和感を覚えながらも、そういうものなのかと思っていた。それでも同じように違和感を覚えたろう者の助言もあってか、最近では、紺やグレーも見かけるようになった。

 大会や式典などでは、やはり黒っぽいスーツが無難なのかもしれないが、もう少し柔軟でもよいのではないかと思う。定番の黒や紺に加えて、緑やグレー、落ち着いて上品な紫などはどうだろう。やはり通訳者にも服装のセンスが求められる。通訳者が身なりに無頓着だと、ろう者まで同類だと見られてしまう。少しはおしゃれをしてほしい。

 さて、困った通訳者の話である。なんと、ある大会でジャージにサンダル履きで通訳している人がいた。さすがに東京では見かけないが、地方では皆無ではないらしい。東京でそんなことをしたら、非難の集中攻撃を受け通訳人生は終わったも同然だ。しかし、地方では通訳者の人手不足もあって、ジャージにサンダル通訳がまかり通ることもあるらしい。大会などフォーマルな場所に普段着で出てきて許されると思っているのだろうか。

 また、結婚式に真っ黒スタイルはいただけない。お祝いの席なのだから、通訳者も少し明るめの格好をすべきではないか。TPOをわきまえた服装は基本だ。国リハの卒業生たちは、場に合わせて服装に配慮する努力を惜しまない。しかし、地方では、壁に溶け込んでしまうのではないかと思えるような通訳者もいる。

 一方、病院や学校など身近な場所での通訳にスーツで決めていく通訳者もいる。その場に集まっている人たちとかけ離れた格好では浮いてしまうではないか。その場に合わせて服装の程度を考慮すればいいのに、いつでもどこでもスーツか普段着という両極端では困ってしまう。

 通訳者の皆さん、ご自宅にTPOに合わせた通訳服を何通りか揃えているだろうか。服装ゴーイングマイウェイになることなく、場に合わせた通訳服でお出かけいただきたい。もう一言言わせていただくなら、ご自分の体形に合った服をお召しいただきたい。これは自分の体験から言えることだが、あまりにもぴちぴちの服を着られると手話をするたびに揺れる豊かな肉体の方に目がいってしまう。体形があからさまにならないステキな服装で通訳をしてほしい。

 通訳者はパフォーマーだ。音声言語通訳者も服装には気を使うという。人と人を結ぶ仕事をする通訳者は、派手にならず無粋にならず、その場にふさわしい格好が求められる。音声言語通訳者の方が派手な傾向はあるが、手話通訳の皆さんも、これからは是非、場に応じた服装ができるよう、センスを磨いていただきたい。

(日本語訳:chu)

■このメルマガは、2009年3月10日にまぐまぐ!によって配信されたものです。

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2009/04/06

No.132 ■CLってむずかしい

「CL」とは何かご存じない方も多いと思う。CLとは物の形や材質、大きさなどを表すものである。例えば〔OKのような手の形〕は、これだけでは非CL型の「お金」か「OK」なのか、CLの「何か丸いもの」なのかわからない。この手の形に動きや位置などの要素が加わると、CLか非CLかがわかるようになる。CLの「何か丸いもの」が頭に付くと「ハゲ」という意味になるし、身体の前面で上から下に数箇所つくと「ボタン」になる。同じCLであっても位置によって、服のほころび(穴)になったり、路上の穴になったりする。このようなCLを使った文が手話にはたくさん登場する。

 ろう者は手話を習得しているから、CLなど朝飯前だと思うが、意外に聴者には厄介な代物のようだ。

 分類は研究者によって違うが、CLには何種類かある。たとえば、〔ドアノブのような手の形〕(サス型)と、〔ドアノブのような手の形を回す〕(ハンドル型)があるが、CLだけであれば、それは「ドアノブのような形のもの」自体を意味し、それを回すと「ドアノブのような形のものを回して動かす」という意味になる。また、「包丁で切る」の表し方も、〔包丁の刃にみたてた手のひら〕(サス型)や、〔包丁の柄を握っている手の形〕(ハンドル型)の二通りのCLがある。さらに「車」や「人」を表す特殊なCLもある。

 しかし、聴者にとっては難儀なもののようで、「足を踏む」という簡単な表現でさえ四苦八苦する。ろう者は自分の脚を示して「脚」と言うが、聴者は、ご丁寧に〔人差し指と中指の2本の指を下に向けた形〕で「脚」を表す。「足を踏む」の「足」は先端の方だからと〔下に向けた2本指の片方の爪のあたり〕を右手で押さえるようにするなど工夫しているのを見かけるが、ろう者は自分の脚を指して、右手で「踏む」とか「踏まれる」と表現する。「踏む/踏まれる」はロールシフトで表す。

 動物編もある。さすがに「牛が寝ている」を<牛+寝る>とはやらないが、工夫の末か<牛>+〔指文字のタを倒す〕とやってみたりする。何のことかと目を点にしていると、牛のCLのつもりらしい。残念ながらその表現では何のことかわからない。<牛>+〔牛が伏している様子(ロールシフト)〕があって、おまけに〔指文字のタを倒す〕が出ればなんとかわかる。単独で〔指文字のア〕が出ても、その主語は何かわからない。ろう者はロールシフトとCLを組み合わせるという複雑な手話文を作るが、聴者には難しいのかなかなかできない。一部だけを取り出してできたつもりになっている。「ネコが車にひかれた」なども、<ネコ+〔走る(ロールシフト)〕+〔人差し指(ネコのCL)右から左へ〕+〔車(CL)人差し指にドン!〕+〔ネコパタン(ロールシフト)・・・〕>となる。<ネコ>+〔指文字のア〕はいただけない。

 聴者やインテ出身の聴覚障害者が教える手話は、ろう者の使う表現とはかけ離れたものになりやすい。CLの存在は知っているのだと思うが、構文が習得できていないまま、中途半端な指導をされるのは困る。自分で表出できなければ、ろう者の表現を撮ってそのものを見てもらう方が効果的だ。手話指導にあたっている方々に考えていただきたい。

 日本ではまだCLの研究は進んでいない。だからといって、自分勝手な表現を学習者に押し付けるのは止めていただきたい。またろう講師も、手話学習者の未熟なCLをそのままにせず、自らのCLを研究して指導にあたってほしい。『CL文法書』や『CLハンドブック』が早く出てこないものだろうか。

(日本語訳:chu)

(chuのつぶやき:にほんごでせつめいできることとできないことがあるんじゃ!とんちゃんのばか・・・)

■このメルマガは、2009年3月5日にまぐまぐ!によって配信されたものです。

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2009/04/02

No.131 ■言葉で表せない子どもたち?(BlogPet)

とんちゃんの「No.131 ■言葉で表せない子どもたち?」のまねしてかいてみるね

先日、それぞれの児童を使っていていれば小さな手で言わせてもらわなくてそのまま記事にされたの魅力にカメラのコンテストを十分にちがいないだろうことか!!
小学4年生の勝手なものさしで言わせてもいい。
明晴学園のだろうか。
このメルマガはろう教育界にされたに言葉を離れれば、ろう児たちも学校教師の決め方やカメラのコンテストを持たない動物とみなさないという言葉で「写真授業『見る・撮る・伝える』」というの扱い方などをしていれば小さな手で手話をされたの考え、手話ということだ。
このメルマガは良いことは良いことだ。
この写真授業を使ってもらわなくても、2009年2月23日に目覚めたにカメラのメルマガは良いことか。
おそらく報道写真や人物写真等のか。

*このエントリは、ブログペットの「CHU」が書きました。

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No.131 ■言葉で表せない子どもたち?

 先日、読売新聞を見ていてあるろう学校の先生のコメントが目に留まった。読売新聞には「写真大賞事務局」があるそうだ。おそらく報道写真や人物写真等のコンテストをしているところだと思われるが、その事務局主催で「写真授業『見る・撮る・伝える』」という催しが、東京都立大塚ろう学校で行われた。小学4年生から6年生の児童を対象に、構図の決め方やカメラの扱い方などを教えるものだ。ろう児たちにいろいろな経験をさせるのは良いことだ。この写真授業をきっかけにカメラの魅力に目覚めた子どももいたにちがいない。

 しかし、見過ごせなかったのは、その授業を担当した教師のコメントである。「言葉で表せない子どもたちの気持ちが伝わってくる」という。

 ろう児たちは「言葉で言い表すこと」ができないというのだろうか。これがろう学校教師のコメントなのだろうか。ろう児たちは言葉を持たない動物と同じだととらえているのか。もしくは、言葉とは日本語であると考え、ろう児たちが使っている手話は言葉とみなさないということか。

 明晴学園の子どもたちは、手話という言葉で、それぞれの考えや心にあるものを十分に伝え合っている。大塚ろう学校の子どもたちも学校では口話を使っていても、教室を離れれば小さな手で手話をしているだろうことは想像に難くない。その手話でお互いに話が通じていれば、その手話は明らかに言葉ではないか。それなのに、言葉とは日本語(口話)だけという先生の勝手なものさしで、子どもたちは言葉を持たない子にされてしまったのではないだろうか。

 そのような先生はろう教育界にいてもらわなくてもいい。その先生のコメントを鵜呑みにしてそのまま記事にした記者も記者だ。どうにも腹に据えかねるので、自分のメルマガで言わせてもらう。「手話は言葉である!」

(日本語訳:chu)

■このメルマガは、2009年2月23日にまぐまぐ!によって配信されたものです。

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