No.092 ■とんでも新しい手話
時折、けったいな手話にお目にかかることがある。<家・家>として「いえいえ」。<北・北>で「来た来た」。<注射・場>で「駐車場」。同様の使い方で、<ト+掻く><セ+掻く>で「とにかく」「せっかく」、または<ヤ>を倍にして「やばい」などのように、音声言語をもじった手話を創りだしては喜んでいる輩がいる。それを見た手話学習者が、これまた喜んで多用する。それを見たろう者は、叱りつけるわけにもいかず苦々しく思っているのだが、手話学習者はその思いに気づくこともなく、けったいな手話を使い続けるのだ。聴者が楽しいのならと黙認してくれる優しいろう者もいるかもしれないが、大方はそんなことで喜んでいるような聴者とはお近づきになりたくないと思っている。そして、大概の聴者は、そんなろう者の思いに一向に気がついていないのだ。
以前「聴力障害者の皆さんへ」といっていたNHKの「ろうを生きる、難聴を生きる」という番組がある。そこで、あるベテランの手話通訳者が、魚や花の名前の手話を創ってはどうかと提案した。一例として披露されたのは、<サ+魚>で「サンマ」、<タ+魚>で「タイ」、<カ+魚>で「カツオ」、<イ+魚>の「イワシ」。もともと「タイ」や「サンマ」はそれぞれ手話があるし、「カツオ」は<("カツオ"の口型(※)付き)魚>やCL+<魚>など、ろう者なりの表現がある。東京など都市部に暮らす人たちは、厳密に魚の種類を表す必要がないので、代表的な魚以外のは口型付<魚>で事足りる。一方、奄美大島などで漁業をなりわいとしているろう者は、イカにしても種類ごとにたくさんの手話を持っている。つまり、生活上こまごまと分類しなければならないものは、それぞれにあたる手話ができ、そこまでの必要性がない人たちの間には、該当する手話が定着しないというだけのことだ。
音声言語は書き残すことができ、表記したものは普及しやすい。しかし、手話は対面で使用される言葉なので、奄美大島だけで使われている手話が東京に伝播することはない。見る言葉であることから、広まり方に制限がある言葉だとも言える。それでも、<サ+魚>や<イ+魚>という手話を聴者が勝手に作り出すことは納得がいかない。
花の種類の手話にしてもしかりだ。<チ+花>で「チューリップ」、<サ+花>で「サクラ」。最近は、日本手話やろう文化が理解されつつあるので、前述のようなヘンな発案をする聴者は少なくなってきたかと思っていたら、そうは問屋が卸さなかった。高等教育機関で聴覚障害学生と共に活動している人たちである。それなりに手話を使い、熱心に活動しているのは良いが、手話は語彙数が少なく、キャベツもレタスも同じ表現で区別がつかないからと、<キ+野菜>で「キャベツ」、<レ+野菜>の「レタス」などを考案した。ろう者は別に困っていない。<キャベツ>と<レタス>の使い分けはできている。
さらに、くだんの学生たちは麺類の区別手話まで創ってくれた。<ウ+麺>「うどん」、<ラ+麺>「ラーメン」、<ソ+麺>「そば」である。「アホ」のひと言をどこに飲み込めばよいのだろう。ろう者たちは、ちゃんと「うどん」も「ラーメン」も「そば」も使い分けているではないか。ここで口型がものを言うが、この口型は別に日本語を話しているわけではない。ろう者も日本語を使う人たちの中で暮らしているので、その人たちが話している口の形を見て手話に取り入れているだけだ。わざわざ「そば」の<ソ>や「うどん」の<ウ>を思い起こして指文字にする方が面倒くさい。仮に口型をつかうのが不得手なろう者でも、「うどん」だったら<日本・麺>とか、「ラーメン」だったら<中華・麺>で足りる。このように、ろう者にはろう者なりの言葉の創り方がある。にもかかわらず、日本語を基にした発想でけったいな手話を創り、ろう者にもその使用を強いるのは、ろう者を見下しているに他ならない。と、思われていることをお忘れなく。
※日本語から借用した口型を「マウジング」という。
(日本語訳:chu)
■このメルマガは、2008年5月1日にまぐまぐ!によって配信されたものです。






















最近のコメント